2017-02-15 第193回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第2号
翻って日本の場合、私なども日本の要人が事務総長に会いに来たとき、ノートテーカーといって、記録を取れというので事務総長室に呼ばれて行くことがあるんですけれども、非常にやっぱり事務総長、扱いやすいと、日本の代表は。何も言わない、我が国はこの国連政策全面的に賛成でございます、これからも支援していくつもりですと。最後に必ず言うことがある、是非日本人の国連職員を増やしてもらいたいと、それで終わるんですね。
翻って日本の場合、私なども日本の要人が事務総長に会いに来たとき、ノートテーカーといって、記録を取れというので事務総長室に呼ばれて行くことがあるんですけれども、非常にやっぱり事務総長、扱いやすいと、日本の代表は。何も言わない、我が国はこの国連政策全面的に賛成でございます、これからも支援していくつもりですと。最後に必ず言うことがある、是非日本人の国連職員を増やしてもらいたいと、それで終わるんですね。
それから、今、恐らく事務所なんかお帰りになるとガラス一枚ですから、ほとんどは、いいところに住んでおられる新しいのは分かりませんけれども、一枚ガラスですから、あれに、東京大学の総長室でやったように、内側にもう一枚窓を張っていただきたいんですよ、そうすると、それだけでもって冷暖房のエネルギーが半分になりますから。
何かいろいろ読んでいますと、文献によれば、かつて法務大臣が検事総長を大臣室に呼んだだけで事件になったという話もあるそうなんですが、何か構造的に、そもそも検事総長室と法務大臣の部屋というのは行き来できるようになっているんですか。常日ごろコミュニケーションというのはやはりとっておかないと、刑事局長がおっしゃるような不幸な事態を招く可能性がありますから、念のため。
去る六月三日の午前十時過ぎに、綿貫先生ほか二名が事務総長室に法案を持参されましたが、所属会派の機関承認、自民党の場合には、幹事長、総務会長、政務調査会長、国会対策委員長の承認なんですが、これがございませんでしたので、仮預かりといたしました。
これは、ことしの二月の予算委員会で、ある資料が提示されましたけれども、私も持っておりますけれども、推薦入学のときに、成績、いろいろ段階等々がありますけれども、実は数字が書き込まれていまして、そしてその数字というのは寄附金の額だ、連絡を受けた受験生はその額を総長室に持っていくようにという連絡で、そしてオーケーした人には丸印がついている。
総長室で総長みずからが点数をはじき出して、金額を書いてやっていたという資料を出しました。 要するに、点数と合否判定の資料を出せば、そして、あと父母さんに、要するに合否判定前に幾ら払ったか、払ったのか払わなかったのか、それを調べればわかるわけですよ。そうした調査をしているんですか。
五十七年十二月、紹介を受けたY医師の指示により、両親が帝京本部の総長室と思われる部屋に訪れ、沖永総裁とあいさつ。金額の話はなく、商談に終始した。 明く五十八年一月、Y医師より、大学へ二千五百万円の小切手を用意するようにとの指示。同輩のアドバイスでY医師にも五十万円用意し、帝京大M病院へ両親が訪問。Y医師に面談し、すぐに沖永恵津子院長、総長夫人です、にY医師より引き合わされた。
そして、私が確認したところによると、試験が終わり、そして採点が終わった後、これが総長室に届けられます。そうすると、総長がこれを見て、三・八、Bクラス、あと百五十万、三・六、Bクラス、この人はあと二百万、Cクラス、あと二百五十万追加、全部総長が自筆で書いているんだそうです。そして、そばにいた職員が直ちに、例えば一番上の三・八、B、彼のところへ、自宅へ電話を入れます。
また、東大は紛争後、総長室というものを設けました。まずは総長特別補佐というポストも設けたわけであります。現在の副学長に当たるわけでありますが、こういうことをやるようになりました。 また、大きな学部では、例えば主任会議であるとか評議委員会であるとか、そういう組織をつくりまして、教授会だけでは運営できない運営に当たるような組織をつくってきたわけであります。
○三上説明員 中村が総長室に駆けつけたという事実は私把握をいたしておりません。 また、何時までそこに総長がおって、それに対してどういう行為があったかということまで私どもただいま把握をいたしておりません。
○山原委員 これが総長室、二階の図面であります。いま言いました岩越氏がおりましたのは総務課の部屋ですね。ここで大声が聞こえて、これが常務理事室、ここで殺人が行われているのです。それで、恐らく入ったのは八時四十五分ごろだろうと思いますけれども、九時に殺害行為が行われているのですが、その大声を聞きつけて彼はこちらへ行っておるのですね。児たら殺人が行われている。
○勝又武一君 私は、去る十四日、総括質問で、大学の不正入試問題につきまして、特に早稲田についてお聞きをいたしましたが、けさのニュースによりますと、早稲田の総長室調査役主事の後藤朝一氏が自殺をされた向きでございます。疑惑の目で見られるのは耐えられないという趣旨の遺書を持っておられたようでありますが、文部当局といたしましては、どのようにこの点思われていらっしゃいますか。
四月には、本年の総長室発行の文書によりますと、四月の十一日、十二日、十三日で各学部に行う。毎月ではないですが、六月のものありますが、十六日それから九日、七日、三十日等に日程が入っております。
それまでは、自分の総長室の前に座り込んでいるその暴力集団を、自分が入れないもんですから、やっと機動隊を導入までしてほうり出したにすぎない。その他には何の手出しもまだできないじゃないですか。 私は、先般、大分県の解同の問題で調査に行きました。あっちこっちでむちゃくちゃな暴力をやりました。ただ一つ、弥生町というところでは彼らは乗り込むことはできませんでした。
それから器物損壊につきましては、解放された部屋につきましての器物は修復についていろいろ算定をしておりますし、まだ未解放の部屋についての器物損壊の実情はこれは推定でございまして、合計で三十五万程度、三十数万と申し上げたわけでございますが、これらにつきましては、紛争のまだ途中でございますし、大学の機能を維持していく上において、たとえば総長室等は至急修復しなければならないという点もございますので、それらについての
それから、いまもおっしゃっていましたが、総長も総長室へ入れない状態が長く続きましたし、それから評議員会は、これは二月の初めからずっと学外で開かれている。そして六月の十八日の竹本処分の評議員会は学内でやって、またそれ以来四ヵ月半にわたって学外で評議員会をやらなきゃならぬ。やっと警察の機動隊の導入をして、八日の午後に四ヵ月半ぶりに学内開催ができた、そういう状況です。
○政府委員(佐野文一郎君) 京都大学は十月の二十五日以降警察の協力を得まして、総長室あるいは時計台等の不法な状況の排除を行い、従来学内に立ち入ることができなかった総長も現在は学内において平常に執務をしている状況がございます。そういった関係で、いま御指摘の施設の中で総長室等はすでに占拠が排除されているという状況がございます。
最近また、私どもからも強い反省を求めましたことに関連いたしまして、数日前にもはね上がった一部の者が総長室に乱入するとか、あるいはきょうもまた東大の本部前で騒ぎを起こしておるというような情報も入っておるわけでございますが、何とか大学当局の関係者も事態の改善を急ぎたいということで一生懸命つとめておりますので、私どももできるだけ近い時期にこの地震研の体制が立ち直るように、今後の地震予知の観測網の中でやはり
当日その部屋で、野党議員が総長室に来てクレームをつけたので議長にお伺いを立てました、こうあなたはおっしゃっているんですよ。これは委員長もはっきりとしるしておられます。これはうそなんですか。二十二日のことはうそなんですか。きょうのことがほんとうなんですか。場合によってはあれですよ、委員会として重大な私どもは判断をしてかからなければなりません。お答えを願います。
これは東大で現にある程度実行もされておるわけでございますが、総長補佐機関-総長室というのを設けまして、そして現実に今日までのところ二人の総長補佐という方を置かれて、総長を助ける体制をつくるというようなことは論議もされ、また、事実運用もされておる次第でございます。
それから、柴田総長が六月十四日、同大学の十号館五階の総長室で記者会見し、その中で「事件を起こした学生は、ほとんどが鶴川分校(東京・町田市)の学生で、分校に対する指導と配慮が欠けていた。」だからそういう事故が起きた。「また、暴力否定は本校の方針だが、学生全員に行き届いていなかった」と、こういうふうなことを言っているのが新聞で報道されているんです。
なお、大学の管理につきましては、評議会というのが最高機関になっておりますが、学長のもとに、私のところでは紛争後に臨時総長室というものを設けまして、そこで全体の企画、立案、調整というようなことを担当するような組織にしておりまして、臨機応変の措置がとれるような体制をつくっております。
それに対して坂田文部大臣は十八日に大阪大学の総長室におきまして、まあいずれ値上げしなければならないけれども、いまのところ具体的な値上げは考えていない、党内の意見も年末までまとまらないだろうとおっしゃったと新聞に書いてあるわけです。
○木島委員 中曽根総長が就任されたときのあいさつに、総長室に来てもよいから率直に私に議論を吹っかけろ、できるだけ諸君と対話をしたいと、こう言っておられたこと、平常じゃなしに、ことにこういうときにこそ教育者としては、総長が就任のときに言われたように対話が、総長室ででも議論吹っかけろとこうおっしゃったそういうものが、こういうときにこそ必要なんじゃないですか。